命にふさわしいが、NieRのとあるキャラクターの歌に聞こえた話【考察・ネタバレあり】
先日、NieR Automataをクリアしました。いやぁ泣けた。
NieRシリーズは、独特の世界観で悲壮感だけじゃなくその先に見える小さな救いってのがなんともいえない感じを表している気がします。
そして、そこで一つ衝撃だったのがamazarashiさんとのコラボ曲である、『命にふさわしい』でした。この曲がNieRのキャラクターソングに聞こえるのです。
amazarashi
amazarashi(アマザラシ)は、日本のロックバンド。ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ所属[2]。青森県で結成された[3]。バンド名は「日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨曝しだが“それでも”というところを歌いたい」から名付けられた
東京喰種の主題歌『季節は次々死んでいく』で一躍有名になりましたね。悲しい曲に聞こえるがその奥に何か人を突き動かす衝動を植えこんでくる強烈なインパクトの歌を創り出すセンスは毎回聞きながら脱帽しています。
ちなみにかくいう私もこの季節は次々死んでいくから入ったにわかなんですが、当時衝撃だったのが『スターライト』と『もう一度』の2曲でした。
刺さる・・・
とまあ、この2曲を聞いて完全にamazarashiさんのファンになったわけなんですが、リリースされた当時自分の中でもかなり衝撃が強い曲がありました。それが命にふさわしいだったのです。とりあえず、このMVをみていただきたい。
200体以上の人形を凄惨に破壊し続けるというかなりインパクトが強い内容となっている。
歌詞も命とは何か、各々が思う命の価値とは何なのかを訴えてくる哲学的な中身になっている。
正直、このMVを最初に見た印象はかなり悪かった。人形であれ無抵抗な物を容赦なく破壊していく様は見ていてあまりいい気分にはなれないし、想像力が欠ける私の知能では歌詞も難解で理解するには時間のかかる物だと感じたのです。
しかし、冒頭でも紹介したNieR automataをクリアしもう一度このMVを見た時感動が凄い勢いで襲ってきました。
ここからは、曲の解釈は人それぞれなのを前提に私が抱いたイメージと考察を書いていきたいと思います。
NieR Automataとは
西暦5012年。突如として地球にエイリアンが襲来し、侵略を開始。人類はエイリアンと彼らが繰り出す兵器「機械生命体」の手によって地上を追われ、月への退避を余儀なくされる。生き延びた人類は奪われた地球を取り戻す為、アンドロイド兵士による抵抗軍を結成。衛星軌道上に設置した基地群から反抗を開始するが、十数回に渡る大規模降下作戦を経てもなお決定的打撃を与えることができず、戦況は数千年に渡り膠着していた。この状況を打破するため、人類は決戦兵器として新型アンドロイド兵士「ヨルハ機体」を開発。それらから成る「YoRHa(ヨルハ)部隊」が編成され、戦線へと投入されることとなった。
(プロローグ)
まず、この曲を本当に理解するにあたって最も必要となるのはNieRシリーズへの知識でした。エイリアンが準備した『機械生命体』と人間が準備した『アンドロイド兵士』の実質代理戦争。これが物語の基盤となってくる。
ゲームのキャッチコピーは【命もないのに、殺しあう】
もう、この段階でNieR の世界観とこの曲のシンクロ率が異常にあがるのだ。
そしてこの二つのロボット達の戦いには人間同士の戦いにはない重要な要素が入ってくる。
それが死んでも生き返る事が出来るということ。
ヨルハ部隊のアンドロイド達は記憶データをバックアップすることが出来る 。月の本拠地に残された記憶媒体がある限りは何度でも復活することが可能で、最悪自爆してまた月の本拠地から降下作戦を開始する。
そして、機械生命体もまた然り。しかし彼らはネットを経由してデータを共有している。独自で考える知性はないにせよ大元の管理者の命令を全員が把握し襲ってくる、圧倒的物量で。
力はほぼ互角で膠着状態が続く中、そのヨルハ部隊のキャラクターを使いこの戦いに終止符を打つというのがこのゲームのストーリーとなる。
秋田ひろむさんはNieRシリーズの大ファン
そもそも今回のコラボが決定したのは、この要因が強かったのではないでしょうか。
秋田ひろむさんが実はかなりのゲーム好きというのはどれぐらいの方が知っているのだろうか。
秋田:僕が初めてヨコオさんの作品をプレイしたのは『NieR Replicant(ニーアレプリカント)』でした。はじめは普通のアクションRPGだと思ってやってたんですけど、プレイしていくうちにこれは普通じゃないぞ、と思いはじめ、みるみるヨコオタロウワールドにはまっていきました。どの作品も痛ましさや悲観的な空気をまとってるんですけど、それを通してプレイヤーが「自分だったらどうする?」と考えさせられるのがすごいところだと思います。
なによりゲーム愛を感じるというか、プレイしてるとびっくりするようなオマージュがあちこちに散りばめられていて、プレイしながら「このゲームを作った人は本当にゲームが好きなんだろうな」と感じてうれしくなりました。
(PSインタビューより抜粋)
と本人も言っている通りで、このおかげで二つのコラボが決まったのです。
NieRの世界観とamazarashiワールドも共通項が多いというのも大事な要素だったわけですね。
命にふさわしいは9Sの歌だった!?
そしてここからがタイトルの本文ともなる部分。(前ふりが長い)
しかし、まだ足りない要素としてこのキャラクターが何者なのか物語にどう絡んでくるのかというのが大事な所でもある。
この歌の核となるのが二人のキャラクターの関係性。
・ヨルハ二号B型
通称「2B(トゥービー)」。戦闘タイプのヨルハ機体。剣戟による近接攻撃を得意としており、ポッドによる遠距離攻撃も扱える。冷静な性格の持ち主だが、多数の敵を前にしても「倒せばいい」と言うだけなど、9Sに言わせると大雑把な点がある。また冷たいようにも見えるが、落ち込んでいる6Oを励まそうとしたり、任務内容に不満をこぼす9Sをたしなめたりするなど、その行動からは配慮や思いやりを持っていることが伺える。
・ヨルハ九号S型
通称「9S(ナインエス)」。最新型のスキャナータイプであり、調査・ハッキングを得意とする。作中では2Bのメンテナンスも担当していた。性格は2Bに比べてやや子供っぽく好奇心旺盛な点があり、言葉遣いに時折それが現れている。2Bに対しては親愛の情を抱いているようで、「ナインズ」なる愛称で呼んでくれないかと度々提案している。しかし2Bの反応は芳しくなく、そのことについて小さく不満を漏らしている。
二人の関係性や9Sの心情を汲み取ったと思われる要素が非常に強く感じられた。
この二人が協力し機械生命体を根絶しようとするわけなのだが。。。
歌詞の意味を考察してみる
ここからは、実際に歌詞を見ながら説明していくのがわかりやすいと思うので、いくつか抜粋して考察してみる。
好きな人ができた 確かに触れ合った アスファルトより土 鋼鉄より人肌
無意識に選ぶのが 冷たさより温みなら その汚れた顔こそ 命にふさわしい
そもそも、NieRの次元の話になってくるとこの『好きな人』というものが異性間の恋愛なんていうくくりではすまなくなってくる。それが親愛であったり家族に対しての愛情なんてのも当然かかってくる。9Sは普段調査が専門なので他のアンドロイドと協力して任務を行う事が少ない。だからこそ一緒に戦う2Bには家族のような戦友のような不思議な感情を抱く。アンドロイドなのに同族との関わり合いを積極的にもとうとする。
そこで最後の命にふさわしいという言葉が強烈なインパクトを残す。命を持たないアンドロイドにもこの感情が沸くという事が命を持つにふさわしいという事になるのではないだろうか。
身の程知らずと ののしった奴らの 身の程知らなさを 散々歌うのだ
前に進む為に 理由が必要なら 怒りであれ何であれ 命にふさわしい
ここもまた深い。これはアンドロイド側、機械生命体側どちらにも比喩している歌詞のように感じた。物語の途中で戦うことを拒否してネットワークを切った機械生命体が集まった村に行くことになる。そこの機械生命体達はその村でなんと『家族』を作ろうとしているのだ。新しく生まれた機械生命体達に知識や教養を教え、それこそ本当の子供のようにこの村では育てている。
この段階で2Bと9Sの中で色んな感情が葛藤する。私たちが戦っている機械生命体とは一体何なのかと。本当に戦うべき相手なのか、そんな葛藤にかられる。
そう前に進む理由が揺らいでしまうのだ。
しかし、一人は仲間を殺された復讐のため一人は任務を遂行するため戦う決意をする。
命を持たない彼らそれこそ命にふさわしいと。
こぼれた涙を蒸発させる為に 陽が照る朝を
飽きもせず こりもせず 待っている 待っている
全部を無駄にした日から 僕は虎視眈々と描いてた
全部が報われる朝を
ここからは、少し物語のネタバレになります。
全部を無駄にした日、これはすなわちミッションの失敗を意味する。9Sが物語のとある部分でコンピュータウィルスに感染してしまう。しかもそれが2Bを守るため体を張って助けた結果だからこそ辛い。記憶のバックアップを取ろうにも月のネットワークにアクセスした段階でウィルスがそちらにも移ってしまう為バックアップも取れない。今まで築いてきた2Bとの関係性がそこで再びリセットされてしまうのだ。2Bとの記憶を無くしてでも彼女を守ろうとした。その彼の行動はとても自己犠牲なんて一言では片づけられない。
友達ができた 理想を分かち合った 向かうべき場所に 歩幅すら共にした
裏切られたっていいと 道端ひれ伏すような
酩酊の夜明けこそ 命にふさわしい
この歌詞こそ9Sの心情を強く書いているように感じた。絶対の信頼を2Bに置いていた彼の心境が鮮明に伝わる。ウィルスに感染した話の続きなのだが、彼は最後自らの命を2Bに託し自分を殺すように頼んでしまう。仲間に迷惑はかけられないそれは2Bだけじゃなく、アンドロイド達全員を家族のように感じていた彼だからこそだったのかもしれない。
失くした何かの埋め合わせを 探してばかりいるけど
そうじゃなく 喪失も正解と言えるような
逆転劇を期待してる そしてそれは決して不可能じゃない
途絶えた足跡も 旅路と呼べ
この世界観がだいぶ把握できた方はなんとなくわかってもらえるのではないでしょうか、ここの歌詞の部分。
記憶が失われた段階で一から始まってしまう二人の関係性所々断片的に記憶が残っていたとしても、完全に戻ることはない記憶。だが、大切な仲間の為に自らを犠牲にしたという事実。それこそが本当は尊く、そこまで二人で歩んだ道のりだってちゃんとした二人の旅路なのだと。
愛した物を守りたい故に 壊してしまった数々
あっけなく打ち砕かれた 願いの数々
その破片を裸足で渡るような 次の一歩で滑落して
そこで死んでもいいと 思える一歩こそ
ただ、ただ、それこそが 命にふさわしい
先ほども書いた通り、争いを望まない機械生命達がいた。その機械生命体達はアンドロイドや人間達との共存を望む者もいた。しかし、この世界でその願いを叶える事がどれほど難しいかは、容易に想像できると思います。
機械生命体は全滅する。アンドロイドは全員破壊する。この逃れられない絶対的プログラムの中必死に仲間を守るため破壊していくその姿はゲームをプレイした方ならばわかる通り。そうその姿こそ命にふさわしいのだ。
そんなに悲しむ事なんてなかったのにな
心さえなかったなら
希望なんていともたやすく投げ捨てる事はできる
心さえなかったなら
そして、ここで合間に入ってくるこの二つの歌詞が非常に刺さってくる。
こんな葛藤、感情を持ち合わせることなく戦う完全なロボットだったならなかったのに。ネットワークを切らずに完全に思考を停止するロボットだったらな希望なんて持つ事もなかったのに。という心情が汲み取れる。
しかも、ここの部分しっかり聞いていただくとわかる通り切ない歌詞に対して、怒りの感情が込められている事がわかるのだ。何度も何度もこの歌詞を歌っているのが本当にNieRの世界観を悲痛にしかし強烈に印象づけている。
MVはNieRのスタッフが作った
それを踏まえた段階でもう一度MVを見ていただきたい。
印象ががらっと変わるのではないでしょうか?しかもこれはNieRの制作スタッフが作った事でより印象が強くなった。
凄惨とも思える人形たちの破壊描写は、この世界に対しての怒りにも似た感情を見ることができるし途中で表現されている感情マトリクスの異常というエラー表示。
しかもそれがamazarashiさんの歌がインプットされる事により発生している点にも注目してもらいたい。
この二つがしっかりとシンクロしたMVだという事もしっかりと理解できるようになる。
いやぁ、スゴイ(ここにきての語彙力)
まとめ
ここまで書き殴ったわけですが、本当に歌もそうですがMVや世界観にあった描写全てが素晴らしいクオリティだったのは理解してもらえたかなと思います。
amazarashiファンの方はぜひNieRシリーズを、
NieRをプレイしている方はぜひamazarashiさんの魅力が少しでも伝わってくれたらとてもうれしく思います。
後、歌詞の部分でいくつか考察を書かなかった部分がありますが、そこは実は物語の核となる部分に触れるのであえて書かずにおいてあります。
多分NieRをプレイされている方はこれあそこの事なんだろうなと感じてもらえるはず!!
気になった方はぜひNieR Automata をプレイしてみて 自分でその部分の持つ意味を考えてみてください!
スクウェア・エニックスNieR:Automata (ニーア オートマタ) 【PS4ゲームソフト】 価格:7,344円 |